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2025.05.28
【前編】海に潜り、原始的な感覚にチューニングを合わせて / 連載「作家のB面」 Vol.33 鈴木ヒラク
Photo / Saki Yagi
Text / Yu Ikeo
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話を深掘りする。
訪れたのは銀座、鈴木ヒラクさんの「海と記号」展が開催中のポーラミュージアムアネックスだ。都市の喧騒からうって変わり、会場には、仄暗い海の底を感じさせる静寂が広がっていた。今展覧会のテーマであり、ヒラクさんにとっての特別な場所でもあるという海。幼少時から続けているという素潜りや原体験としての海についてうかがった。
三十三人目の作家
鈴木ヒラク
「描く」と「書く」の間を主題に、空間や時間に潜在する線を探求し、ドローイングの概念を拡張する制作活動を展開。表現する媒体は、平面、彫刻、映像、インスタレーション、パフォーマンス等と幅広い。
《道路》2010年 反射板、ミクストメディア 600x600x600cm 森美術館での展示風景 Photo by Keizo Kioku ©︎ Hiraku Suzuki Studio
個展『今日の発掘』 2023年 群馬県立近代美術館での展示風景 Photo by Ooki Jingu ©︎ Hiraku Suzuki Studio
ライブ・ドローイング・パフォーマンス(鈴木昭男とのセッション) 2019年 東京都現代美術館「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」イベント Photo by Sepideh Hashemi ©︎ Hiraku Suzuki Studio
素潜りに装備はいらない

ポーラミュージアムアネックスの前で鈴木ヒラクさんと待ち合わせ
ーー今回の展覧会のテーマは海ですが、ヒラクさんは素潜りがお好きだと伺っています。
素潜りは子どもの頃から大好きです。今も続けていて、もう僕のこと「素潜り」って呼んでもらってもいいくらい(笑)。
ーーライフワークとして潜られているのですか?
趣味というか、生きがいの一つですね。5歳のときに、親に連れられて素潜りしたのが始まりで、それ以来、良さそうな場所があったら潜ってみるという感じで、今に至ります。日本では伊豆や福岡の海が多いです。海の中って浮力もあるし、そこにある地形や生き物などによって織り上げられている世界の秩序が、地上のそれとは全く違う。はじめて潜ったときの、世界がパッと広がった瞬間の感覚を今も覚えています。世界というのは地上のルールだけで動いているんじゃないんだ、って。

ーー潜るという行為ならスキューバダイビングなどもありますが、素潜りにこだわる理由は?
なるべく少ない装備の方がいいなというのがあって。過去にはサーフィンなども試したんですが、やっぱり自分は、なるべく道具を身につけないで自然の中に入っていきたいなと。さすがに寒いときにはラッシュガードを着ますが、基本は海パンとシュノーケル。手袋も外して。人がいない場所ならば全裸で、ということもあります。最近の個人的な流行りは裸眼ですね。最初は視界がぼやけますが、続けているうちに解像度が上がってきます。
ーー裸眼で素潜りとは……。装備を軽くすればするほど危険も増えそうですが。
実際、何度か死にかけています。気づいたら沖に流されていたり、呼吸をするために岩の穴から首を出そうとしたら頭が引っかかって抜けなくなったり。そのときはもうダメだと思いましたが、傷を負ってもいいから生きようと、無理やり引き抜いたので顔面傷だらけになりました。でも、水中の生物たちも食物連鎖や激しい潮の流れといった世界でタフに生きていますよね。だから危機に対して非常に敏感だし、生き延びるためのさまざまな知恵というか、掟がある。それらを理解することはできないけど、人間には計り知れない秩序があるっていうことは分かる。そこで僕も一緒に居させてもらっている感じですよね。

某所の海
だから、僕にとって素潜りは「観察」じゃないんですよ。観察だと、自分が世界を対象として見ますよね。その間にカメラがあったり、水族館だったらガラスがあったりするわけです。でも素潜りは観察じゃないから、海水も飲み込むし、死ぬかもしれないし。もう、その中にただ居るっていうことですね。
ーー観察ではなく「ただ居る」ことで人間と生き物の関係性が変わるのですね。
海に入ってすぐは魚が逃げていくんですけど、だんだんこちらの呼吸が深くなってくると魚も近寄ってきて、一緒に泳いでいる感覚になってくることがある。思い込みかもしれないですけど。
ーーそれはおもしろいですね。人間も生態系の一部になるというか。
はい。でもよく考えてみれば、旧石器時代の人などは全裸で潜って貝を獲って食べたりしていたわけですよね。僕は基本的に都市生活が好きですが、同時に海で貝を獲ったり、近くの山で野草を採ったりもします。それは狩猟採集民だった古代の人間と同じ行動をすることで、呼び起こされる感覚があるからです。普段はこういう水平な土地の上に人間が築いた社会の秩序の中で、物事を認識している。そういう状態から、現代社会のルールが通用しない世界に身一つで潜ると、忘れかけていた原始的な感覚にチューニングが合う瞬間っていうのがあって。僕にとって素潜りはそれを思い出す時間でもあるし、制作するときもそのチューニングで制作しています。
素潜りと発掘

ーー海に潜って、具体的にはどんなことをするのですか?
だいたい何かを拾っていますね。たとえばこれみたいに、穴の開いた石だったり、光るプラスチックゴミの欠片だったり、海には人工なのか天然なのかが判然としないものがたくさん落ちているんです。

海底で拾った石
僕は生まれが宮城県で、父は福島、母は宮城出身という東北の家系ですが、2歳のときに家族で神奈川に引っ越して、川崎市で育ちました。その頃、住んでいた家の近くに縄文遺跡の発掘現場があって、僕も空き地で土器の欠片や、何だか分からないゴミのような物体を拾って遊んでいたんです。将来の夢は考古学者で、発掘少年でした。当時から地底都市とか世界の謎、みたいな本を読んでは想像を掻き立てられていましたが、水中の世界もいまだに解明されていないことだらけ、という意味では地中と同じ。だから僕にとっては、海に潜って何かを拾ってくるのは、発掘にすごく近いんです。

枝と海
ーーヒラクさんにとって素潜りは、海で発掘をする行為なんですね。発掘の面白さを陸と海の双方に感じていたと。
そうですね。20〜30代の頃は、バックパックで世界中を旅して、広い意味での発掘を都市でやっていたように思います。そもそも僕がやっているドローイングという行為には「引き出す」という意味があり、発掘と深い関係があります。すでにそこにある線の断片や解読できない記号なんかを都市から無数に引き出して、それらをつないで新しい作品を作ったり、アーカイブして『GENGA』という辞書のような本を出したり。たとえばインドの薬局の看板の一部が剥がれ落ちているところを描いたり、メキシコのマンホールの蓋を擦って記号を写し取ったりして、都市の浅瀬で素潜りをする感覚。ですが、2011年の震災があって、そういう都市でのフィールドワークが徐々にもっと深い自然の方へ向いていったんです。


僕はルーツが東北なので、津波で街が流されて地形も変わってしまうくらいの被害を受けて、やっぱり僕にとっては他人事ではなかった。あれ以来、僕は直接的に津波や原発をテーマに作品を作ることはしなかったけども、自分の親族のお墓参りをしながら、東北や北海道の古い遺跡を周るようになって。古代の人たちが、脅威も恵みももたらす自然とどう向き合って暮らしを立ち上げて、生き延びてきたか。特に「祈りのかたち」ということについて、縄文の環状列石や壁画が刻まれた洞窟などを巡って、ドローイングしながら自分なりに考えるようになりました。以前はあちこちの都市で面白いものを表面的に集めていたんですけど、もっと都市が生まれる前の人間と自然との関わりについて深く知ることが必要だなと思えてきて。そういうことをフィールドワークするようになっていきました。

日常の些細な瞬間に採取した記号の断片を石板の表面に投影した作品《GENGA #1001-#1100》(video)
海に戻ってきた感じ


ーー近年では能登の地震でも海岸の地形が変わってしまいました。自然の風景は一見固定されているようですが、大きく動くものなんだと衝撃を受けました。
火山の噴火もそうですよね。ダイナミックで無慈悲な自然の動きの中にあって、人間が築き上げてきた都市は、生まれては消えていくようなすごくもろいもの。でも、だからこそ愛おしいというかね。大事にしたいものがそこにある。そういうある種、大きな循環の中に人間の文明や都市っていうものも織り込まれているんだっていう。すごく大きいテーマですけど、震災を受けて、そういうことを肌感覚として捉えるようになったというのがあります。
ーー自然の大きなサイクルで見れば、都市も人間もその一部に過ぎないというか。
はい。なので、都市でいろいろな記号の断片を採集していたように、自然界にある記号的な線により向き合うことで、文明の始まりについて考えるようになりました。溶岩を拾ってきてそれを並べながら描いたり、光の動きの軌跡をなぞったり、木の枝で線を引いてみたり。そうした流れで、海中生物、たとえばプランクトンの写真を見てドローイングをするようにもなって、今回の作品につながりました。だから今展覧会は、海に戻ってきた感じがしますね。
ーー海に戻ってきた感じ、ですね。今展覧会は青がテーマカラーですし、海中の微細な生き物を思わせる作品もありました。
これは今回の作品のベースにもなっているプランクトンのスケッチですが、文字のようにも見えるじゃないですか。最初のプランクトンって、35億年くらい前の地球の海で誕生した最も原始的な生命と言われていますけど、そういう生命の起源であるプランクトン自体が、そもそも人間には解読できない文字で何かを書いていたらどうなんだろう、ということを想像してみたんですよね。それで今回は、僕がプランクトンから文字を学びながら生命の物語を記述してみる、といったような作品になりました。

海のプランクトンを描いたスケッチ
ーー確かに、甲骨文字のように見えてきます。生物なのに不思議です。
フランスの科学者で写真家でもあるクリスチャン·サルデという人がいて、タラ号という海洋調査船の設立メンバーでもあるんですけど、彼は世界中の海でプランクトンの調査をして顕微鏡写真を撮っているんです。『美しいプランクトンの世界』という写真集があるんですが、そこには深海で発光している多種多様なプランクトンが登場します。それはもう、都市の高速道路とかネオンサインみたいにも見えてくるんです。生命の起源と未来の都市が重なってくるような感覚です。今回の作品は、この人の写真にもかなりインスパイアされています。

後編では今展覧会の作品の話を入口に、ヒラクさんの考える都市と自然についてうかがった。
Information
鈴木ヒラク「海と記号」
ドローイングの概念を拡張するような作品制作で知られる鈴木ヒラクによる、海をテーマにした個展。中心となるのは、作家がはじめてストーリー性のある作品に挑戦したという、青の背景にシルバーで描かれた16点組の連作「海と記号」(2025)。あわせて、考古学的遺物の写真をシルバーで塗り消すことで青の背景が浮かび上がる《Casting(Ocean)》(2025)や、新作映像インスタレーションも展示。海を介して、都市/人と自然の境界や関係性の捉え直しを試みます。
会期:2025年4月25日(金)~6月8日(日)
会場:ポーラ ミュージアム アネックス
住所:東京都中央区銀座1-7-7 ポーラ銀座ビル3階
公式サイトはこちら
ARTIST

鈴木ヒラク
アーティスト
1978年生まれ。2008年東京芸術大学大学院美術研究科修了。2011年ロンドン芸術大学チェルシー校に滞在後、アジアン·カルチュラル·カウンシル(ACC)の助成によりアメリカに滞在。2012年公益財団法人ポーラ美術振興財団在外研修員としてドイツに滞在。2023年文化庁芸術家在外研修員としてフランスに滞在。主な個展に『今日の発掘』群馬県立近代美術館(群馬、2023年)がある他、これまでに金沢21世紀美術館 (石川、2009年)、森美術館 (東京、2010年)、銀川現代美術館 (中国、2016年)、MOCO Panacée (フランス、2019年)、東京都現代美術館 (東京、2019-2020年)など国内外の美術館で多数の展覧会に参加。2016年よりプラットフォーム『Drawing Tube』を主宰。音楽家や詩人らとのコラボレーションやパブリックアートも数多く手がける。作品集に『SILVER MARKER―Drawing as Excavating』(HeHe、2020年)など、著書に『ドローイング 点·線·面からチューブへ』(左右社、2023年)がある。
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