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2024.02.23

【前編】ターミナルから見つめる、束の間の人生 / 連載「作家のB面」Vol.19 荒木悠

Photo / Kaho Okazaki
Text&Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun
Courtesy of the artist and MUJIN-TO Production

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話しを深掘りする。

今回、竹芝客船ターミナルで待ち合わせしたのはアーティスト・映画監督の荒木悠さん。これといった趣味のない彼が唯一好きだという空港、港にまつわる話を聞いた。すると、「ターミナル」という言葉の語源や、パスポートの強さ、旅の間のこの場所だから考えられる“自分とは何か?”という話に展開した。

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【後編】あらゆる差異を映像とダジャレでつなぐ映画監督になるまで / 連載「作家のB面」Vol.19 荒木悠

  • #荒木悠 #連載

十九人目の作家
荒木悠

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日本とアメリカを行き来しながら育ち、各地の様々な言語・文化間で起こる誤訳や誤解、オリジナルと複製の関係、それらが表出させる権力構造について、ドキュメンタリー、アニメーションなどの映画や映像作品を制作。ダジャレ、ダブルミーニングなど作品には荒木さんのユーモアのセンスも光る。

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現在、十和田市現代美術館で展示している《NEW HORIZON》は十和田市やその近郊で働く、外国語指導助手(ALT)のインタビューと、日本初の外国人英語教師となったラナルド・マクドナルドの語りから構成される映像作品。外からの視点を通じて現代日本を浮かび上がらす

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幼馴染らで結成された京都を拠点に活動するKISSのコピーバンド・WISSを追ったドキュメンタリー《仮面の正体(海賊盤)》。彼らの音源を一切使用せずに作った異色の音楽ドキュメンタリー風作品。本作ではコピーと本物にまつわる関係に迫る

 

竹芝客船ターミナルで待ち合わせ

──荒木さんに取材オファーをしたとき「自分なんか趣味のない人間ですが大丈夫ですか?」とおっしゃっていたのが印象に残っていて。このあたりの話から教えてもらえますか?

何か突出した取り柄があるわけでもなく、本当につまらない人間だなと思って常々生きています。まあお笑いとか好きで、ラジオも聴いたりはしますが、何かひとつのことにどっぷりハマるみたいな経験がこれまでありませんでした。すべて広く浅くで、人並みなんです。「どこにでもいそうな顔ですね」ってよく言われますし。普通という言葉は好きではないんですけど、自分のことを形容するとしたら、「極めてフツー」(苦笑)。

例えばラジオだったら『オードリーのオールナイトニッポン』が好きで、日本武道館ライブにも行きましたし、今度の東京ドームのチケットも運良く当たったので行ってきます。ただ、本当にハードコアな「リトルトゥース」(*1)と比べると全然なんでもないレベル。オードリーは変わらず大好きですね。好きだけれども、その好きをとことん突き詰めるようなオタク気質ではないというか……。

*1……『オードリーのオールナイトニッポン』のリスナーの総称。荒木さんが行った、2月18日(日)に開催された東京ドームライブはチケット競争率が高く、落選した人も多い。

──お話を聞いていると「趣味」といっても良い気もしますが、そうじゃないと。

うーん、胸を張っていえるほど詳しくはないんです。長く聴いている割には忘れっぽいので情報が蓄積されていかないのがコンプレックス。昔から記憶力がないので、それがすべての元凶かも。趣味……、映画を観たり、美術館やギャラリーに行くのはもちろん好きですが半分仕事みたいなものだから、趣味が仕事になったということなんでしょうか。幸い、アートはさまざまなところからリソースを持ってこれるので広く浅くでも、すべての受け皿になってくれます。そういう意味では、何をやってても仕事なのかもしれません。

──さて、そんな荒木さんと今、竹芝客船ターミナルに来ているわけですが。

いろいろと考えたんですが、昔からなぜか好きなのが空港とか港なんです。竹芝ターミナルは以前、小笠原諸島の父島へ行ったとき以来です。同級生の田村友一郎さん、友人のグリッサゴーン・ティンタップタイさんと一緒に27時間かけて行きました。懐かしいな。おお、船がありますね。ここからどこか遠くへと繋がっていると思うとワクワクしませんか。このままどこかへ旅立ちたくなりました。

──なんだか楽しそうですね(笑)。

今日、実は皆さんより早くこの場所に来てたんです。そこで人間観察をしていました。なんとも言えない表情でベンチに座って誰かを待っている人がいて、どうやって暇をつぶしているのかじっくり見ていました。何かを待っている人のやり過ごし方って興味深いんですよね。暇そうにしている人を見るのが好きです。なので、こちらは常に忙しい。

駅の構内で待っている男性の様子を遠くから撮影した荒木さんの映像作品《WAITING》(https://vimeo.com/66263451)

──荒木さんの作品には“待っている人”を撮った映像作品《WAITING》もありましたが。

あれは韓国のとある駅で、キュレーターが手配してくれたタクシーの運転手さんと合流するまでの時間を記録した作品です。初めての国際展に呼ばれて韓国に行ったときで浮足立っていたのと、改札を出ると遠くの方で運転手さんが僕の名前が書いてある紙を持ちながら待っていてくれたんです。そんな待遇をこれまで受けたことがなかったので嬉しくなって、ビデオカメラで撮ることにしました。ずっとバレないようにしていたので、作品自体は8分ですが、実際には30分くらいお待たせしているんですよ。

──そんなに! 

さすがに怒られるかなとドキドキしていましたが、録画を止めずに最後にカメラを回したまま挨拶したら「やっと来たか!」と笑顔で固く握手してくれたのでホッとしました。誰かと初めて会う瞬間というのは、その人との間は一生に一度しか訪れませんよね。出会うまでの尊い時間を、出来る限り先延ばしにして結晶化させてみたかったんです。

この《WAITING》はカットなしのワンテイクなので、撮影者と運転手さんとその映像を観る鑑賞者の3者が同じ時間だけ待っているという構造をしています。若い頃に撮った初期作のひとつとはいえ、我ながらなかなか意地悪ですね。

 

「ターミナル」には「終わり」という意味がある

──なぜそこまで「ターミナル」に惹かれたのでしょうか?

制作のため各地を移動することが多かったんですが、滞在制作に一区切りつけて次へと向かう間、自分自身と向き合える場所といいますか。

そもそも「ターミナル」の語源である「terminus」はラテン語で「終わり」という意味もあるんです。映画『ターミネーター』(1984年)も「終わらせる者」で語源は同じ。終末期医療のことを「ターミナルケア」とも言いますが、「終点、境界、端」に由来して人生の終わりの場面と、空港や港といった施設でもこの言葉が用いられているのは示唆的ですよね。あの世へ行くことを「旅立つ」というくらいだからか、空港に行くときは毎回、もしものためにいろいろ片付けてから出発するようにしていて。

──身辺整理をする、と。

そこまで大したことではないんですが、海外旅行保険加入含め出発前は儀式的に動いている自分がいますね。当分日本には帰ってこないから、出国前にあれを片付けておかなきゃ、これをやっておかなきゃ、あの郵便物出しておかなきゃ、とか。あの人に会っておこう、和食を食べておこう、といった判断も、しばらくの「不在」が前提にプログラムされている。また、「しばらくの不在」が「永遠の不在」になる可能性もある。

もちろん、すべては間に合わないので、出来るところまでで、あとは諦めます。でも、人生もたぶん同じだと思っていて。死ぬまでにやり残したToDoリストを全部片付けられるかといったら、できない。そうやって次の世界に移動していくんだと思うんです。

あと、パスポートにも強さがあるって話をご存知ですか?

──どういうことですか?

ビザ無しで何カ国入れるかっていうことを示した「パスポート指標」というのがあって、現在(取材時)日本のパスポートを持っているとビザを取得せずに194カ国行くことができるんです。指標はその国の情勢によって変動するんですが、世界トップクラスに強いパスポートと言われています。

ですが感覚的には海外から再入国するとき、入国審査で日本人か外国人かで分けられる場面で、この国のパスポートを持っていることの特権性を感じるのと同時に、大変な状況にいる人たちのことも考えさせられる。

特に空港という場所は母国と外国の境であり、一市民として国家権力の元に管理されていることを強く感じて自覚する場所でもあります。

──今の話をお聞きしていて映画『ターミナル』(2004年)を思い出しました。トム・ハンクス演じる主人公が飛行機に乗っている最中に祖国がクーデターで消滅、パスポートが無効状態になり空港に閉じ込められるというお話です。

あれは象徴的な映画ですね。入国ビザを取り消されてしまい、亡命も難民申請もできず、入国も出国もできず、乗り継ぎロビーで過ごさざるを得なくなります。一時的であるはずのトランジットの空間に長期間囚われてしまうわけですね。あの映画はロマンティック・コメディ要素が強いので、ターミナルで過ごす時間が魅力的にすら描かれてますが、程度こそ全く違えど、まだ未成年の頃にアメリカの永住権を申請した直後に9.11が起こってしまい、ゴタゴタのなか申請書が引き継がれず、システムの狭間に埋もれてしまい何年もアメリカ国内で待たされた時のことを思い出します。結果が出るまで日本にも5年ほど帰国できず、政府機関の都合で行き来の自由がきかなかった時期がありました。

そのためか、物事の「あいだ」を制度的に意識させる空間としてターミナルが気になっているのかも。死生観みたいな話になりますが、人は生まれた瞬間と死ぬ瞬間を一人称では経験できないように、出国と入国が仮に誕生と死であるとすれば、そのあいだのトランジット中の状態こそが生であり、人生とは常にそのあいだを移動していること、とも言える。空港にいるとそのことをいつも以上に意識するのかもしれません。

 

日本とアメリカを行き来しながら考えたこと

──これまでのターミナルの話がアーティスト活動にどのような影響をもたらしていると思いますか?

僕自身、よく日本とアメリカで育ったアーティストと括って紹介されることが多いんですが、主語が大きすぎるというか、そこまで背負ってはいないんです。ただ、どうしても属性や出自でジャッジされてしまう風潮がある。しかし、そのことが作品理解を促すのであれば、逆にこちらがそのレッテルを活用して、例えば「アイデンティティはひとつしかない」といったような考え方に揺さぶりをかける方が、少なくとも日本国内で発表する上では意義があるかなと。もちろん、その根底には何かの属性に100%属せていない曖昧な自己があるわけです。そういった地点から作品が立ち上がってくるので物事の「あいだ」というものを意識させる作りになっている気がします。

空港の出発ゲートをイメージしたインスタレーション《HOME / AWAY》。3つのモニターには異なる時代に撮影されたホームビデオが流れ、これらの映像はシンクロすることもあれば、ズレることも。世代を超えて変わるものと変わらないものが同時に存在していることが映し出される。撮影:小牧寿里

──日本とアメリカで育ったという話も詳しく教えてください。

父が割と転勤が多く、仕事の関係で当時住んでいた山形で僕は生まれました。弟が二人いるんですが、全員違う土地で生まれていて。だから山形に持ち家があるわけでもなく、たまたまという感じです。久しく行っていないし、思い出はもはや消えかけてしまっていて。

3歳のときに、父の仕事の事情でアメリカに引っ越したんです。といってもニューヨークとかLAみたいな華のある街ではなく、南部のテネシー州ナッシュビルという田舎で、アメリカのなかの山形みたいなところでした(笑)。それから小学1年生の時にまた山形に戻ってきて、今度は中2のはじめで再びナッシュビルへ。22歳まで向こうで過ごし、セントルイスの大学を卒業後、両親が住んでいた東京に戻ってきた感じです。2007年のことでした。

──大学院で自主的に日本に戻ろうとしたんですか?

先ほど永住権申請の話をしましたが、結局受理されなかったんですよ。アメリカの大学を卒業すると、1年間就労ビザなしで働ける権利を得られるのですが、当時のアメリカは9.11後のブッシュ政権で、イラク戦争の状況もあり、それを行使せずに帰国しました。あと、日本の最終学歴が小卒なので、さすがにやばいかなと思って。運良く東京藝術大学の大学院に入学することが出来ました。でも、これがなかなか馴染めなかったんですよ……。

教授と学生の関係や、講評のあり方もアメリカで受けていたそれとはかなり違っていて、今考えれば単なる適応力が足りなかっただけなんですけど、当時そのことですごく思い悩んでいたんです。制作も空回りしてて、何作っても先生からはダメ出しばかり。「荒木の作品は既視感がある。見たことの無いものをつくりなさい」と。

どうしたらいいのかわからずとにかく焦っていたら、ある日ストレスで胃が痛くなってしまったんですね。初めて胃カメラを飲むことになったときに、閃いたんです。そうだ、自分の体内はまだ見たことないぞ!それを作品にしてしまえ!と。アドバイスを真に受けつつ、完全にヤケクソでした(笑)。

《Deep Search》は白人男性の人形を荒木さん自らが飲み込み、胃カメラでその様子を抑えた映像作品。日本での生活が長くなるにつれて消えていく、アメリカで暮らしてきた荒木さんを人形で表現した

──それが《Deep Search》につながった、と。撮影してみてどうでした?

忘れられない体験でしたね。部分麻酔だったので胃カメラを飲みながらも意識はしっかりしていました。モニターで自分の体内をライブで見ながら、人形も想像以上にうまく座っている姿を確認できて、とにかく嬉しかった。ただ同時に自分ってやっぱり空っぽなんだなと。冒頭の突出した個性がないって話ともつながるんですけど、自分のなかに何もないことを目視できたので、観念的な自分探しを辞めました。体内に入れたカメラを、ようやく外の世界に向けるきっかけとなったんです。だから、《WAITING》やその後の作品も作ることが出来たんだと思ってます。外の世界が面白すぎる、という気づきでした。

後半では外に目を向けた荒木さんのドキュメンタリー作品や、映像表現の手法について迫ります。

Information

荒木悠 LONELY PLANETS

本展ではこれまでのリサーチを経て、作家のテーマを展開した新作の映像作品4点と過去作品4点を公開。異なる軌道を描く惑星のように独立した作品の数々は、真冬の十和田で偶発的に接近しあい、一つの天体を展示室に生み出します。

会期:2023年12月9日(土) ~2024年3月31日(日)
開館時間:9:00 ~ 17:00(入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(祝日の場合はその翌日)
会場:十和田市現代美術館
青森県十和田市西二番町10-9
公式HPはこちら

 

恵比寿映像祭2024コミッション・プロジェクト

恵比寿映像祭2024「月へ行くための30の方法」で展示した荒木悠さんの映像作品が引続き展示中。

開催期間:2024年2月20日(火)~3月24日(日)
休館日:毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
料金:無料
公式HPはこちら

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ARTIST

荒木悠

アーティスト・映画監督

1985年生まれ。2007年ワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部美術学科彫刻専攻卒業。2010年東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士課程修了。文化の伝播や異文化同士の出会い、またその過程で生じる誤訳や誤解の持つ可能性に強い関心を寄せている。特に、近年の映像インスタレーションでは、歴史上の出来事と空想との狭間に差異を見出し、再現・再演・再生といった表現手法で探究している。主な展覧会と映画祭に、「荒木悠 LONELY PLANETS」(十和田市現代美術館、2023-2024)、「Memory Palace in Ruins」(台湾現代文化実験場、台北、2023)、「恵比寿映像祭2023コミッション・プロジェクト」 (東京都写真美術館)、ホームビデオ・プロジェクト「テールズアウト」(大阪中之島美術館、2022)、第31回マルセイユ国際映画祭(フランス、2021)、「Connections―海を越える憧れ、日本とフランスの150年」(ポーラ美術館、神奈川、2020 )、「 LE SOUVENIR DU JAPON ニッポンノミヤゲ」(資生堂ギャラリー、東京、2019)、「The Island of the Colorblind」 (アートソンジェ・センター、ソウル、韓国、2019)、第47回ロッテルダム国際映画祭(オランダ、2018)など。

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