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2024.03.22
【前編】現代アーティストが地元・学芸大学で探した昭和の原風景/ 連載「作家のB面」Vol.20 植田工
Text / Daisuke Watanuki
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun
アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて話しを深掘りする。
今回、学芸大学駅で待ち合わせたのはアーティスト・植田工(うえだたくみ)さん。生まれ育ったこの町を案内してもらいながら、幼い頃に見た景色や原風景にまつわるお話を聞いた。
二十人目の作家
植田工
東京藝術大学を卒業後、脳科学者・茂木健一郎氏に師事しアーティストとしての活動を始める。絵画、イラスト、デザイン、映像、コラムなど様々な表現を展開。近年では「母子像」をテーマに制作している。
《A Mother and Child》2021
《Find The Loving Smile Of A Mother》2023
《A Woman》2023
学芸大学でオススメの場所
最初に向かったのは幼い頃から通っていた中華料理店跡地
──学芸大学に生まれ育った植田さんがオススメする、町のお気に入りスポットを教えて下さい。
まずは町中華の〈中華料理 二葉〉。ここ数年は町中華ブームでメディアに取り上げられたこともあり、かなり行列ができていました。でも、僕にとっては子どもの頃から通っているなじみのお店です。大人になった今でも頼んでいるチャーハンは、ここの店が世界一美味いと思いますね。ただ、店舗建て直しのため2023年末で休業をしていて、今はその場所が更地になっているんです。町の風景が一つ消えたような気がして、それがなんだかとても寂しくて。2025年春頃に新装開店するらしいので楽しみに待ちたいです。
植田さんが撮影した〈中華料理 二葉〉の写真
──その足で次に向かったのは洋菓子屋です。
〈MATTERHORN〉も学芸大学を象徴するようなお店です。1952年の創業時から、1店舗主義。昭和から続く牧歌的なケーキや焼き菓子が多く、ここにしかないお菓子を求めて大勢のお客さんで賑わっています。でも、ここも僕にとっては町のケーキ屋さん。通学路だったのでよくお店の前を通っていました。包装紙やお菓子の缶に描かれているのは、鈴木信太郎画伯のかわいいイラスト。あの絵自体が、この町の顔になっている気がします。喫茶室が併設されているんですけど、そこは幼稚園の頃に連れられてパフェやモカソフトを食べさせてもらった思い出の場所でもあります。
続いて向かったのは大きな池がある〈碑文谷公園〉
──そして碑文谷公園ですね。
おらが村の公園といえばここです。弁天池が特徴的ですけど、子ども心には湖ぐらいに大きく感じていました。4区画ぐらいに広場が分かれていて、男の子はよく大きな木がある広々とした場所でサッカーをしていて、女の子たちはブランコや遊具のある場所に集まっていました。放課後は上級生と下級生が入り混じって遊び、ケンカをしたり、仲直りをしたり。公園を中心につながる子どもたちのコミュニティができていたんです。午後4時過ぎまで遊んで、お腹が空いたら駄菓子屋に行ったりして。そこで地元の微妙な経済格差を実感したりもしましたね(笑)。
男の子がよく集まっていたという大きな木のあるエリア
テレビの中はステーキ、部屋の中はしょっぱい鮭
──子どもの頃の学芸大学はどんな町でしたか?
1974年にはもうマクドナルドができていたようで、商店街も充実していましたね。朝の7時までみんなが呑んでいるような寿司屋が何軒もあったと記憶しています。それに東口の方には子どもが夜に近寄ってはいけないスナック街(学大十字街)も。懐かしいですね。
──欧米の文化が入りだしつつも、昭和の雰囲気が存分に残っている感じですね。
そうですね。我が家もあの頃はテレビもダイヤル式で、ビデオはVHSではなくベータ。リアルな場所とテレビぐらいしか娯楽がなかったですね。
見上げる先には、植田さんが幼少期に住んでいたマンション
──生家のマンションにも立ち寄りましたね。
あのマンションが僕にとっての学芸大学の中心で、暮らしのすべてが詰まってる場所です。父親は戦後の進駐軍の影響でアメリカに憧れていた世代で、家でかかっている音楽はカントリーやジャズ。その影響か、当時は僕もアメリカ文化の影響にどっぷり浸かっていました。思い出されるのは1984年ロサンゼルスオリンピック。開会式ではロケットマン(*1)が登場し、閉会式では聖火が消えた後に現れたUFOとの音と光の交信が行われるなど、リアルな世界がまるで「映画」のようだったんですよ。それをオレンジのシャーベットを食べながら家で見ていた記憶があります。僕の目にはテレビの中の世界がすごく豊かに映りましたね。でも目を元に戻せば、我が家は色味が醤油っぽいドメスティックな昭和の質感で、全然アメリカとは違うんです。テレビの向こうではステーキを食べているのに、うちは白米に味噌汁にしょっぱい鮭。アメリカかぶれに見えた父も、実際はがんこ親父でしたし。
*1……アメリカの航空機メーカー「ベル・エアクラフト」が作ったジェットパックを背負い空を飛んだ男性のこと。
──どんな家族でしたか?
生活には困らないぐらいのごく一般的な家庭でした。ただ、小さい頃に母がいなくなり、父と男三人兄弟、そして叔母二人という家族構成に。母とはそれ以来、一度も会っていません。父はものすごいヘビースモーカーで、家の中でずっとショートホープを吸っていました。殴る蹴るは当たり前で、兄貴は木刀でぶっ飛ばされていましたね。80年代は教員もまだそういう人が多かったし、暴力で物事を解決していくみたいな価値観が強かったのだと思います。
「この1階で絵を描いていたこともありましたね」
──当時の植田少年についても知りたいです。
住んでいたマンションの屋上から渋谷が一望できるんですけど、夜景がきれいでよく眺めていました。キラキラした都心の風景なんですけど、子ども心に妙にノスタルジーを感じていましたね。
──いつまで学芸大学で暮らしていましたか?
2006年ぐらいまで実家に住んでいました。ただ、大学に入ってからは、実家とは別に、近所で月3万円の風呂なしのアパートを3軒横並びで幼馴染と1軒ずつ借りて、そこをずっと遊び場にしていたんですよ。まぁそこも結局学芸大学なんで、本当にずっと同じエリアに居付いていましたね(笑)。
ずっとこの町で定点観測してきた
──植田さんにとっての学芸大学と、そこにいる人々の印象は?
学芸大学が地元だというと「都会でいいところですね」と言われてしまうんですけど、僕は基本的に、どこに住んでいたとしても地元民=田舎者だという感覚を持っています。そもそも生まれ落ちた場所なんて親の都合じゃないですか。僕はたまたま学芸大学が地元になっただけで、日本のどこの地域に生まれ育ったとしても田舎的なメンタリティは変わらないと思っています。そもそも目黒区なんて江戸時代には田んぼと畑しかなかったような地域ですから。僕も含めて田舎者が住んでいる町という印象です。
──地方出身者からすると意外な感覚でした。
父親がよく「俺がまだ子どもの頃は、江戸時代をそのまま引きずっている雰囲気があった」って言っていたんですよね。不忍池あたりで紋付を着た横山大観が外車に乗っていて……なんて目撃談を話していたりもしたので。だからか、僕も時代の地続き感を持っているのかもしれません。
さきほど幼少期の町の話をしましたが、70年代がいくら高度経済成長期を経た時代だといっても、まわりにはまだそれ以前の古い時代の空気が漂っていましたから。実際は僕の生まれる33年前には終戦を迎えているわけですが、戦後の闇市から発展を遂げたエリアもまだ残っていましたし。時代って節目節目で強制的に語られますけど、本当はそれぞれの人が自分の人生の時間軸を持っていて、みんながいろんな時間の重なり方をしている気がするんですよね。時代で区切ると水平方向に物事が立ち上がると思うんですけど、僕にとっては学芸大学の〈MATTERHORN〉のある通りを起点に、垂直方向に物事が立ち上がってくる感じがするんです。それは僕がこの地域から動いていないからだと思います。ずっと定点観測しているんですよ。この町から時代の流れを見ている。きっと地元の商店の人たちなんかもそうだと思いますが。
〈MATTERHORN〉の近くにある十字路を指す植田さん。「この道は小学校の通学路だったんですよ」
──その町を定点観測してみて、今の学芸大学はどう見えていますか?
親たちが住んでいたときの経済状況とは違い、あの頃と同じような暮らしが今の僕らの稼ぎではできなくなってきている。僕も今では一駅分離れて暮らしています。当時はそこに居つなかなくては居場所はなくなると思っていましたが、今は場所というよりコミュニティでつながっている気がします。肌感としては、2020年を越えてからでしょうか。町もどんどん新しい流れになってきて、最近は時代と環境の変化を一気に感じています。商店がなくなったらまた新しい方々がやってきて新たな店ができて。もう馴染みのないお店が多いです。びっくりするのは、若い子たちがわざわざ学芸大学にご飯を食べにくること。いままで町に住んでいる人たちだけで消費していたけど、もう人流が変わってきているなと実感します。
──では学芸大学の面白みはどこにあると感じますか?
自分の中では面で町が出来上がってしまっているので、その面の表情が楽しいというか。この通りから曲がったらあの景色が見える、 この通りの中に入っていったらこの景色が見えるという感じで、小さな景色の変化に今でも魅了されています。この時間帯にはあそこに行ってあの景色を見たい、と思えるような場所がいくつもあるんです。今日は一直線にみなさんをお連れしてしまいましたが、1日2日いただけたら、この時間はここです、晴れた日はここですとお気に入りの風景を案内したいぐらいでした。
──もしかしたら学芸大学という場所に関係なく、他の場所に生まれ育っていたとしても植田さんは同じ尺度で世の中を見られるかもしれませんね。
それは自分でも考えさせられている問いですね。人生は一回きりで他の誰とも代われない不条理こそが人生の醍醐味のような気もしますし。でもたとえば、もし僕が熊本の阿蘇に生まれ育ったら、同じように町の景色を愛しているだろうとは思います。生まれ育つ環境は人ぞれぞれですので、地元に全く興味がなかったりむしろ嫌いだという人もいるだろうとは思います。僕が地元の関係性を切り離せないのは、自分の育った経験すべてを肯定したいという気持ちがあるからなのかもしれません。
昔、父が母に逃げられたときに「みっともねぇからこの地域から逃げたいと思ったけど、むしろここで育て上げてやったろうじゃねぇか」とか言っていて、どんな場所どんな状況にあっても逃げねぇぞと。そんな今の時代にはそぐわないマッチョでストロングスタイルな父の態度に毒されただけなのかもしれませんが(笑)。
後編では学芸大学ではない「ここではないどこか」へ憧れた幼少期の話や、アニメとの出会い、アートを志した経緯などを植田さんが明かした。
ARTIST
植田工
アーティスト
1978年生まれ、東京都出身。2005年、東京芸術大学 絵画科油画専攻を卒業。2007年、東京芸術大学大学院 美術解剖学専攻 修了。脳科学者・茂木健一郎氏に師事しアーティストとしての活動を始める。 絵画、イラスト、デザイン、映像、コラムなど様々な表現を展開する。 主な個展に「Punctuation Marks」(FOAM CONTEMPORARY、東京、2023)、「infantile」(A/D GALLERY、東京、2022)、「Wander」(AKIO NAGASAWA GALLERY、東京、2021)、「フランダースの犬の事など」(CAPSULE、東京、2020)、グループ展に、池上高志+植田工「Maria,人工生命,膜,魚」青森トリエンナーレ(2017)/日本科学未来館常設展示(2018)出展、「Creativity continues」(Rise Gallery、東京、2012)など。著書に、『生命のサンドウィッチ理論』(文・池上高志、講談社、2012)、『植田工の展覧会のミカタ』(オデッセー出版、2021)など。
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