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2023.12.27

【後編】アニメから考えた“生き物”の生と死。そしてオバケ。 / 連載「作家のB面」Vol.18 米澤柊

Text / Kohei Hara
Photo / Sakie Miura
Edit / Eisuke Onda
Illustration / sigo_kun

アーティストたちが作品制作において、影響を受けてきたものは? 作家たちのB面を掘り下げることで、さらに深く作品を理解し、愛することができるかもしれない。 連載「作家のB面」ではアーティストたちが指定したお気に入りの場所で、彼/彼女らが愛する人物や学問、エンターテイメントなどから、一つのテーマについて深掘りする。

今回は国立科学博物館を巡りながら米澤柊さんの「生き物」への愛や創作のルーツを深掘り。後編では、転機となった大学時代のインスタレーションの話から、アニメーション技法における「オバケ」の面白さや、生き物を深く見つめた先にあった表現について話が展開していきます。

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【前編】国立科学博物館を巡りながら“生き物”に触れる / 連載「作家のB面」Vol.18 米澤柊

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死なない生き物がいればいいのに

前編に続き国立科学博物館の地球館からお届け。1階「地球の多様な生き物たち-みんな、関わり合って生きている-」系統広場で何やら撮影を始める米澤さん

――国立科学博物館にはメンダコも展示されていて、うれしそうに写真を撮っていましたね。

メンダコがいてうれしかったです(笑)。

米澤さんが撮影したメンダコ

――米澤さんのX(旧Twitter)のID(@mendakoanime)にもメンダコが潜んでいますが、最初に出会ったのはいつごろですか?

高校3年生のときに江ノ島水族館に行って、水族館を回り終わったあとにショップに行ったらメンダコのぬいぐるみがあったんです。その水族館にメンダコはいなかったのに(笑)。でもかわいいなと思い買って帰って、それからメンダコが泳いでいる動画を見たりするようになりました。大学に入ってから大学用にTwitterを始めて、本名でやるのもな……と思い「メンダコ」と名乗っていたら、自然にあだ名も「メンダコ」になりました。しかしメンダコはとてもデリケートな生き物で、長期飼育が難しいということもあってあまり水族館には展示されていない。だからまだ実物を見たことがないんです。

米澤さん私物のメンダコのぬいぐるみ

――思いを馳せている状態なんですね。

すごく好きな動画があってそれをよく見ています。海外の潜水艦に乗った海外の人が深海にいるメンダコを観察している動画があるんですけど、ライトが明るすぎてメンダコが「まぶしい〜!」って手足で顔を覆うんです。それがかわいすぎて、潜水艦の人もみんなもだえていて。なんだかその、まぶしいっていう動作にすごくキャラクター味を感じた。メンダコのアニメを描いてVJで映したこともあります。

――生き物の姿を見て、「これをアニメーションにしたいな」って思ったりもしますか。

犬が走ってるところはあまり進んで描きたいとは思わないんですけど、生き物が浮遊している感じとかは描きたいなって思ったりしますね。海の中でふわふわしてる感じとか。有機的な動きというのか、アニメーションしていて楽しい生き物の動きがあります。ウナギとかクラゲとか、イモムシとかもそうですね。

――子どものころに生き物を飼っていたりもしたんですか。

小学校3年生から高校3年生くらいまで金魚を飼っていて、その子たちは大きくなりすぎて最後は鯉みたいになってました(笑)。長生きはしたのですが、ある日病気で死んでしまいました。その時はお墓をつくって、大泣きしました。このときの経験から「死なない生き物がいればいいのに」という感情が生まれて、アニメーション制作にもつながったところがあります。

 

死によって浮かび上がる生

地球館の1階、多様性の由来ゾーンで立ち止まる米澤さん。「そういえば国立科学博物館の中に、生命の誕生ゲームがありました。にょろにょろの細長い線を指で丸く囲うと、どんどん繁殖していく。いないものをいることにしていく作業は、私がふだん取り組んでいることにとても近いものがあるなと感じます」

――アニメーション制作につながった話を詳しく聞きたいです。

大学2年生までは、アニメーションのフレームを何百枚も描いて再生すると動くことに感動して、映像やGIFアニメーションをつくっていました。ただ、3年生になる前あたりに、映像ではなく生きたものやその場所の空気そのものを作りたいという気持ちが芽生えました。「アニメーションは“生きてるように見える”ことなんだ」って言葉をくださった先生がいたんですけど、“見える”じゃなくて“生きてる”にするにはどうすればいいんだろうとその当時は考えていました。

インスタレーション作品《Swimmars》。中央で光る蛍光灯に向かってアニメーションが近づく動きを見せる

インスタレーション作品《Swimming pond 》 / Photo: 竹久直樹

その年に制作したインスタレーション(「Swimming pond(2020)」)では、魚や微生物の動きを模倣した白くてもちもちしたアニメーションが水槽の中を泳いでいる空間をつくりました。明かりを置いて、集魚灯のようにアニメーションが寄ってくるようにしたり。まるで水族館のバックグラウンドを探索するように、大きな生け簀の上を歩けるようにもしました。生き物を展示する際の見せ方や、生き物を生かす場所とは何だろうと思って、その当時はすみだ水族館の展示方法を参考にしました。死なない生き物をつくりたいという気持ちと、アニメーションを生き物として成り立たせたいという思いが合わさってこのインスタレーションにつながっていったんです。

――なるほど。

当時ゼミの久保田先生に作品の講評をしてもらう中で、「生きてるものは、逆に考えると死ぬものでもあるよね」と言われて。死なないと生き物じゃないと。

――たしかに、定義としては。

すごく腑に落ちて、そこからはアニメにとっての死とは何かを考えるようになりました。そのあとはアニメーションの技法における“オバケ”とか、生きたものが生きたことを残す痕跡に興味が向いていって。「生きてるだけでよかった」ってことになったのだと思います。

米澤さんが《オバケの》をつくる際に制作していた“オバケ”

――“オバケ”という名前のアニメーション技法があるのは面白いですよね。例えば、キャラクターが腕を振っているアニメーションをつくるときに、その動きに躍動感を出すために、フレームとフレームの間に残像のように崩れた絵によって描かれたフレームが挟まれることがある。それがオバケ。

アニメーションを生き生きとさせるための表現なのに、“オバケ”と名付けられているのが面白いですよね。死んだフレームだけど、その存在によってアニメーション内のオブジェクトに生き物らしさが付与される。オバケのフレームがあるということは次のフレームが用意されている可能性が高いから、すごく希望的だと感じます。

今思うと映像としてや、モニターに映ることでの死はあるけれど、アニメ本体としては実質死なない気もしています。アニメとしては死ななくてキャラクターとして死ぬ(もしくは未満になる)とも言えます。

《台風のあと》

個展『Shu Yonezawa Solo Exhibition “Happy Birth”』より / 撮影:山口梓沙 企画制作:亜洲中西屋(ASHU)

――米澤さんの個展『ハッピーバース』のステイトメントには〈世界がこわい、他人がこわい、未来がこわい、今は、今だけは輝いていて特別なものだ。予想に怯えず再体験によって変形する過去に苦しめられることもない。その瞬間は確かなものだ。描かれたアニメは嘘をつかないから。〉と冒頭に記されていました。“アニメは嘘をつかない”という表現が印象的です。

人って、相手に見えている表情と心の中で考えていることが違うってことがたくさんあるじゃないですか。そう思ったときに、アニメは感情とかが絶対に抽象化して残されていて、その情報から想起できるから、ストレートに読み取ることができる。だからアニメが好きだったんだなって思ったことがあって。

――そっちのほうが安心する?

人間不信とかではないんですけど。怒ってないのに怒っているように見えちゃうこともある。そうなったときに、アニメではちゃんと伝えてくれて安心するなって思います。でも、現実で相手の感情が正確に読み取れないこと自体は逆に尊くも感じられます。

個展『Shu Yonezawa Solo Exhibition “Happy Birth”』より / 撮影:山口梓沙 企画制作:亜洲中西屋(ASHU)

また、私が考えるアニメは、デジタルツールにアニメーションを描き起こす、いわゆるテレビアニメのような形には限定していません。自分が目の前にいる人を認識する/イメージするときの感覚もアニメーションだと定義しています。アニメを見ていると、キャラクターの性格や行動を知っていくことで、「このキャラクターは本当はこんなことを考えているのかな」って想像できるようになる。同じように人に対しても、絶対に全部わかり合うことはできないけれど、「今こう思っているかもしれないからそっとしておこう」「助けて欲しいかもれない」みたいなことが少しだけ、すくうようにわかってくるかもしれない。描き残されていったアニメには嘘がないという“安心”の気持ちを抱いています。

 

人工物も含めた自然の美しいきらめき

――米澤さんは、ライブペイントと音楽ライブを組み合わせたイベントを定期的に開催していますよね。その名も「自然の中で起きている美しい現象すべて」(通称:しぜすべ)。まさしく「自然」や「現象」への憧憬がうかがえるタイトルです。

“しぜすべ”は、アーティストの駒澤零さんと2人で企画しているイベントです。ライブペイントで一緒に絵を描きたいねという話をしていたら、お互いに音楽も好きだったので、ライブペイントと音楽ライブを掛け合わせたイベントをやろうよってことになりました。その打ち合わせで出演してほしい人の名前を挙げているときに私が、「なんか、自然の中で起きている美しい現象すべてみたいな音が、聞きたい…!」と言ったんです。そして「それタイトルでいいじゃん!」となってそのまま(笑)。

2023年12月16日(土)に熱海のACAO BEACHで開催された「自然の中で起きている美しい現象すべて 3」

――「自然」というのは、これまでお話しいただいた「生き物」や「宇宙」のことを指しているんですか?

広義の「自然」を意味していて、もちろん生き物や宇宙が好きなのもあるし、日常以外で起きていること──虹が出るとか、台風が去ったあとの晴れてキラキラした空気とか、海に反射して光が生まれることとか、光があるって認識することとか。そこに住む人たちの文化や文明が発達してパソコンが生まれて、パソコンで音をつくる人もいるし、楽器で音を鳴らす人もいる。そうした人工物も含めた自然が混ざり合って化学反応が起きた時、奇跡のような美しいきらめきが生まれる・・・そういう思いで取り組んでいます。第3回(12月16日に開催された)は初めて屋外も含めた会場となりました。

熱海で開催された第3回の様子 / 撮影:澤平桂志

――美しい現象を共に目撃したいです。最後になるのですが、米澤さんの今後の活動も教えてください。

どうしたら生きているときの、出ては消えていく心や感情を形どり、すくうように残せるかを考えています。生き物として今ここにある身体についてや、その心について、私や誰かが大事なものを大事にするためのきっかけとなる表現活動をジャンルを問わずできたらいいなと思います。

bmen

ARTIST

米澤柊

アニメーター/アーティスト

東京生まれ。アーティスト、アニメーター。現在のデジタルアニメーションにおけるキャラクターの身体性と、現実空間の生き物が持っている心の身体性と感情について、またそれらアニメーションが生きる空間の空気を制作している。主な個展に「名無しの肢体」(トーキョーアーツアンドスペース本郷[OPEN SITE7]、2022)、「エマージェンシーズ! 041《劇場版: オバケのB′》」(NTT インターコミュニケーション・センター、東京、2022)、参加企画展に「惑星ザムザ」(小高製本工業跡地、東京、2022)、「ATAMI ART GRANT」(熱海市街地、静岡、2021)、「Happy Birth」(PARCO MUSEUM TOKYO、東京、2023)など。また、主な共同制作としてMV「Nitecore - Heartbeat」(ディレクション:ファンタジスタ歌磨呂)や、東京スカパラダイスオーケストラのMV「会いたいね。゚(゚ ́ω`゚)゚。feat.⻑谷川白紙」のアニメーション作画、KAIRUIによるシングル「海の名前」のアートワーク制作など。

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