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INTERVIEW
2026.06.17
「わからなさ」は、生活から溢れだす。小原晩がアートと創作に見つけた、言葉の手前にあるもの
Photo: Tomohiro Takeshita
肩肘はらず、自分自身のまま、生活の一部としてアートと付き合ってみる。食べることや飲むことが好きだという小原晩さんをお誘いしてはじまった連載“午後のアート、ちいさなうたげ”は、11の街のギャラリーと飲食店をめぐり、2026年5月に最終回を迎えました。
当初、アートに少し敷居の高さを感じてもいたという小原さん。ギャラリーや作家との出会いを通して、自分がエッセイや小説を書くときに大事にしていることとアートの重なりを見出したといいます。2026年7月にArtglorieux GALLERY OF TOKYOで、連載の集大成となる展示のキュレーションを控えている小原さんに、創作で大切にしている「わかったふうにならない」姿勢や、これまでもこれからも書いていくだろう「生活」について聞きました。
わからなくても見ていい、感じていいと知れたのが、大きな収穫
――晩さんの連載“午後のアート、ちいさなうたげ”は、アートと生活の距離を縮めるためにはじめた企画でしたよね。連載の初回が2024年8月だったのですが、はじめに「アートに詳しいわけじゃないけど、もっと知っていきたい」と話していたのが印象的でした。その頃から、アートとの向き合い方に変化はありましたか?
小原:あんまり恐れなくなったかなと思います。わたしはアートについて詳しくないのもあって、鼻で笑われるんじゃないか……みたいなひねくれた気持ちがどこかにありました。でも実際にギャラリーに足を運んでみたら、そんなことは一切なくて。アーティストの方も、ギャラリーの方も、みんな本当にアートが好きで、おもしろいと思っているということが、ただそこにありました。
――足を運ぶまでは、アートを少し恐れていたということですか。
小原:あったと思います、十分に。でも作家さんにお話を聞いてみると、生活の中でなにかテーマを見つけて、描きたいものが生まれて、創作に向き合っていました。自分もすごくその感覚がわかるなと。そこから、「これを描いたり、つくったりしているときはどんな時間だったんだろう?」って、作家さんの時間を想像するようになりましたね。

――今回は、個人が運営しているような小さなギャラリーを中心にめぐってきたんですよね。
小原:ギャラリーの方と話すときも、作品や作家性について、その方自身の言葉で話してもらえる時間がすごく豊かだったと思っているんです。そのうえで、それだけが正解じゃないっていうような隙間も残してもらっていた。わからないものをいま言葉にしているんだっていうような感じや、その誠実さが伝わってくるような感じがしました。この一年半を通して、わからなくても見ていいし、感じていいということを知れたのが、すごく大きな収穫だったと思います。
――「わからなさ」の話でいうと、晩さんは事前にあまり下調べをせずに展示をご覧になっていたのが印象的でした。普段から、情報を入れずに作品に向き合っているんですか?
小原:ジャンル問わず、そうですね。基本的には作品と場当たり的に出会いたい。パッと出会って、自分がどう感じるかが重要だと思っています。情報がないほうが、自分の感覚に素直になれるというか、感覚を信じやすい。あとは、知ったかぶりをしてしまうことへの恐怖もあります。わかっているふうになってしまうことが怖いというか。そもそもこの連載が、自分の普段の休日の過ごし方と近いたてつけだったのもあったので、普段の感じで向き合いました。
――晩さんの、「わかっているふうになってしまうことが怖い」という感覚はどこからくるか、もう少しうかがってもいいでしょうか。
小原:知識だけを語られたときに、そのもの自体をすごく遠く感じたり、わたしには入れないのかなって思ってしまった経験があるんです。文学の話になるのですが、わたしは子どもの頃から本をたくさん読んできたわけではないんです。でもそれでわたしが、「いや自分なんて」と言っていたら、同じように大人になってから本を読むようになったみんなも入りにくくなると思う。知識を持つことがなにより大切なことではないという気持ちもあります。だからこそ、知識がなくてもアートはおもしろいと思えたことがうれしかったのだと思います。
あとは、知ったようなことを言うときに、よく見られたかっただけなのであれば、そういう自分を許せない。自分が自分を見ている感覚がすごくあって、人目というよりは自分の目が強く働いているんだと思います。

――連載でも、わからないことを素直に書いているのが印象的でした。そういえば、晩さんは取材のためのメモを一切とっていなかったですね。
小原:展示を見た日に思ったことと、何日か経って思うことってちょっと違うんですよね。その距離が、書いていておもしろいところである気がして。そのほうが自分の心に本当に残ったものが書ける気がする。でも、作家さんの話を直接聞かせてもらうときや、重要なキーワードはメモして、間違いのないようにするべきでした。そこは反省しています。
――なにから思い出していくんですか?
小原:ギャラリーに行くときの風景。初めての街に行くことが多かったから、街について。あとは、気温、天気、行く前の自分の感じ。展示は、まずなにを見たか。あるいは一番強い印象から。作品もギャラリーの方の雰囲気もみんな違っていて、それがおもしろかった。生活のなかでアートに触れると、その日がどういう一日になるかに影響します。だから、その日がどういう日だったかっていうのがあるだけ、という気持ちで書いていました。
「言葉が見つからない」感覚を、7月の展示のテーマに
――2026年7月に、連載の集大成として晩さんがキュレーションした展示をArtglorieux GALLERY OF TOKYOで開催することになって。「言葉が見つからない午後も」というテーマで作家さんを選んでいただきましたが、「言葉が見つからない」というのは、晩さんの創作の根幹とも関わってきそうな内容ですね。
小原:普段、コミュニケーションツールとして言葉を使っていますが、創作をする前から「もっと自分の本当のなにかがあるはず」という気持ちがずっとありました。結局わたしはエッセイや小説、詩を通して、「自分の本当」に近づこう、見つけようとしています。
連載で出会った作家さんの作品は、そういう「わからなさ」や「見つかっていなさ」に真摯な気がして、それがすごくうれしいことだったんです。夜に一人で盆踊りを踊ったり、早朝にトイレに行く前に絵を描いたり、自分で言語をつくってみたり……。それぞれの作家さんが、自分にとってたった一つの「本当のこと」に辿り着こうとしているように見えました。それが創作や表現の本質なのだろうと、連載を通してより強く感じた部分でもあったので、テーマにしたいと思いました。

――連載に登場した方からはbegasさん、古川諒子さん、それ以外の方からはオカヤマ ナナミさん、服部恭平さんの4名を挙げられました。
小原:4名とも「わかりにくさ」ではなく「わからなさ」を大事にしているところがあるなと思いました。創作で自分が求めているものは確かにあるけれど、それがわからない。でも、そのわからなさを大切にしているという感覚が共通している気がします。
――両者は全然違うものということですね。
小原:はい。「わからなさ」は、そうしようとするものではなく、溢れてしまうものだと思っています。「わからない」って、生活していると生まれる不思議な気持ちですよね。
――「自分の本当」という話がありましたが、晩さんがそれを探し求める創作の過程には、どんな感情や着地点があるのかうかがってみたいです。
小原:まずは書く。書いているうちに、心の中にも、表現の中にも、感情の動きが出てくる。磨き終わって納得のいくものが完成すると、すごく良かったなという気持ちがある。そこには、書き始めてからではなく、生き始めてからの自分の時間が凝縮されていると感じます。発表した作品は、自分なりの「本当」に近づけたものにはなっていると思います。だから書き終えることができる。書いているときは、自分以外の人の視線はまったく考えていなくて、自分の目しかありません。そして、1日書く日が違えば、まったく違う「本当」になるのだと思う。だから、それぞれの「本当」が生まれたことは奇跡的なものだと思いながら書いています。

生活のことを書き続けていく
――2026年3月には初めての小説集『風を飼う方法』を発表されました。晩さんがおっしゃっていた「言葉の見つからなさ」は、小説という別の手法を通すことで、なにか変化はありましたか。
小原:言葉にしたくなかったようなことや、言葉じゃとても言えませんよっていうような気持ちに向き合えたのは、小説という器のおかげだなと。けれど小説は逃げられなさのようなものもあるから、自分の心がどうなってしまうだろう……と思う時間もありました。でも、今は書けて本当に良かったと思えています。
――晩さんは、又吉さんの『東京百景』に影響を受けたと公言していて、幅広い文体でエッセイを書かれてきました。もともとエッセイをというものを自由度高く捉えていたと思いますが、それでも小説だからこそ書けたことがある?
小原:「長さ」が鍵かなと思います。長いことで、逃げきれなさが深まっていくんですよ。逃げられないからこそ書けるものがあるのだと、書きながら気づきました。

――今回の小説には、暴力にまつわる話も書かれています。晩さんのこれまでのエッセイには、生活のほの暗さやしんどさもありながら、読後感としては明るさが抽出されるような印象を抱いていました。一方で『風を飼う方法』は、わかりやすい救いによって助かったり解決したりするわけではないという読後感が残っていて、そこに対して考えていることがあれば聞きたいです。
小原:やっぱりそれも、より「本当のこと」を書こうとしていたんだと思います。そうしないと、百子(「風を飼う方法」の主人公)がかわいそうというか。百子は、あんまり生きていたくないっていうような子。この子が少しでもこの世界で生きたいと思えるようになるといいなと思って書いていましたが、どうしてもいまの自分ではそこまで書くことができなくて。だから、人から見たら一歩も前に進んでいないような終わりかもしれないけど、百子からしたらすごく大きな一歩だったんじゃないかって思うような終わりになりました。
エッセイの場合は自分のことですよね。ある程度自分のことを無視しても、おもしろいエッセイを書くことのほうが重要だと思っているんです。でも百子のことを書くときに、百子の一つひとつの感情を無視することはできなかった。無理に明るくすることもできなかったし、無理に暗く書くことももちろんできませんでした。
――エッセイこそ自分の本当の気持ちを書くという向きもあるように思いますが、晩さんはむしろエッセイのほうが自分の感情を無視できるという感覚がある。
小原:無視できますね。エッセイは1から10まで起こるできごとが決まっているから、1、2、8で構成して終わりにしようというふうに自由に組み立てられるんです。でも小説は、1を書くと2がどうなるかわからなくて、2を書いても3がどうなるかわからなくて……というふうに、飛ばせないんですよ。だから、書いた気持ちの一つひとつがすごく重要になる。書いた文章が次の文章を連れてくる。だから百子の気持ちを無視できないし、かいつまめない。
――すごくおもしろいです。『風を飼う方法』の帯には、「人生の物憂さと微光」という言葉が書かれていて、これは晩さんの書くもの、ひいては生活観に共通している態度である気がします。また、『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』の「光ばかりをほめそやしてもしかたない」というような一節が記憶に残っているのですが、これも日々をつぶさに見ようとしているからこそ、出てくる言葉であるように思っています。あらためて晩さんにとって生活とはどういうものでしょうか。
小原:わたしには生活しかないと思っているから、生活のことを書いています。だけど、本当はあなたにも生活しかないと思っているんです。仕事も食べることも、恋愛、友情、絶望、挫折……すべて生活じゃないかと。生活は、きれいなお皿においしいものを盛りつけたり、カーテンを開けて光を入れることだけじゃなくて、生きることの光も闇もどちらもあるんだっていうことが、生活だと思っています。
なにげない日常、なにも起こらない日常と言われることもありますが、みんながイメージする事件というのはどういうものを指しているんだろう?というのは考えることがあります。心が揺れたこと自体がすごく大きなことだと思うから、自分にとってはなんでもないわけではない。家の中や、散歩の途中で、起こっているか起こっていないかぐらいの小さなものごとのほうが、心が揺れやすいということだと思います。
あとは、同じことをずっと書いている作家は好きですね。前にデイヴィッド・ホックニーの展示に行ったら、同じモチーフを年代によっていろんな方法で描いていて、自分の思想を強固にしてくれたような衝撃を受けました。それまで、興味の幅が狭いほうなのかもしれないと思っていたけど、無理に幅広さを求める必要はないんだ、怖がる必要はないんだ、それでもこんなにおもしろくて美しいものをつくれるんだということが、素晴らしい絵によって証明されていると思いました。
わたしはこれからもずっと、同じことを書いていくと思います。ご飯を食べること、お酒を飲むこと、お風呂に入ること、人と話すこと、生活のこと。だけど、今日書くのと明日書くのと、20代で書くのと50代で書くのは違う。そのおもしろさをずっと楽しみにしています。
Information
『風を飼う方法』
著:小原晩
価格:1,650円(税込)
『言葉のみつからない午後も』
■出展作家:服部恭平、古川諒子、begas、オカヤマ ナナミ
■会期:2026年7月9日(木)→15日(水)
■時間:10:30~20:30 ※最終日は18:00閉場
■会場:GINZA SIX 5階 Artglorieux GALLERY OF TOKYO
(東京都中央区銀座六丁目10番1号)
Artglorieux GALLERY OF TOKYOのHPはこちら
7月10日(金) 18:30~20:00 レセプション・トークイベント開催
(準備のため18:00~18:30一時閉場)
※混雑具合によって入場制限をさせていただく場合がございます。
DOORS

小原晩
作家
1996年、東京生まれ。作家。2022年3月、自費出版にて『ここで唐揚げ弁当を食べないでください』を刊行。2023年9月、『これが生活なのかしらん』を大和書房より出版。
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