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2025.06.18
山手線から見える頭の長いドワーフの「あれはなんだ」は抽象と具体の共存 / 連載「街中アート探訪記」Vol.41
Critic / Yutaka Tsukada
私たちの街にはアートがあふれている。駅の待ち合わせスポットとして、市役所の入り口に、パブリックアートと呼ばれる無料で誰もが観られる芸術作品が置かれている。
こうした作品を待ち合わせスポットにすることはあっても鑑賞したおぼえがない。美術館にある作品となんら違いはないはずなのに。一度正面から鑑賞して言葉にして味わってみたい。
今回訪れたのは山手線の大崎駅付近から見える頭の長いおじさんでおなじみのパブリックアート。インゲス・イデーというドイツの作家集団が手掛けたパブリックアートである。どうして私達はあの作品に「あれはなんだ」と思ってしまうのか。その謎が明らかになった。
前回はTAKANAWA GATEWAY CITYへ
日本でも有数の観覧数のパブリックアート
大北:実際に来てみたらこんなにうるさいんですね。
塚田: 確かに。皆さん線路から見て「あれはなんだ」でお馴染みのやつですが、線路から見えるっていうのはこういうことなんですね。
大北:さっきも写真撮りに来た方がいましたね。おそらくこれ目当てに降りたんでしょうね。
塚田: 人がいなくなるのを待ってましたね。いつかここに降り立って写真を撮りたいと思わせる力があるってことだ。
大北:山手線の力はすごい。1日に100万人とかが通り過ぎるとすると潜在的な認知はすごいでしょうね
塚田: いや、すごいですよ。山手線だけじゃなくて湘南新宿ラインもですから。また電車が来ましたね。ここでなに喋ってるんだろうってみんな見て思ってるんでしょうね。
大北:子どもが電車の中から見えたもの叫んだりしますよね。電車から見える景色はそもそも人を引き付ける何かがありそう。

『グローイング・ガーデナー』インゲス・イデー 2006年@アートヴィレッジ大崎セントラルタワー
大北:「成長していく庭師」ってことですよね。これ成長なのか、知らなかったな~。アルミニウムとスチール。腹が出てるんですね、意外と。ポケットに手を突っ込んでるんだなとかいちいち感心してしまう(笑)。電車に乗ってるだけじゃわからないですから。いや、ほんと来てよかった。

塚田:目とかアーティストが直接描いてそうな雰囲気がありますね。プロに頼むとこんなラフな仕上がりにならなさそうな気が。
大北:なるほど、タッチが。
塚田:大北さん念願の作品ですね。なんで気になってたんですか?
大北:私はおもしろWeb記事文化の出なんで、街歩きにおける変なものとか書いてきたんですよね。これは2006年から候補としてあったけど有名なので手を出してこなかったもの。
塚田:およそ20年越しにちゃんと見てみようとなった。
大北:電車の中から見える変なもの代表が大崎の小人でした。
塚田:「あれはなんだ」となるパブリックアートの代表かもしれませんね。
大北:そうか、パブリックアートには「あれはなんだ」という要素がありますよね。名和晃平の鹿だって大きかったですから。

大北:この角度から写真を撮れるのもすごい。
塚田:見たことないですもんね。
大北:一度、生でヒカキンさんを見たことがあって、視聴者というわけでもないのにモニター越しでしか見られない人に対して興奮したんです。これも同じ興奮がありますよ。

塚田:これは帽子が長いんですね。
大北:頭が長いんだと思ってたんですが成長してたんだ。それだけで大発見な気分ですよ。これからも伸びる可能性があるんだから。
大北:それにしてもでかいな。長くしちゃうからバランスが大変そうで。
塚田:そうですね。日本は台風が多いし、しっかり強度を保たないといけないでしょうし。
大北:建築会社の人も「なんでこんな長くしちゃったんですか!」って怒るでしょうね。
塚田:ただ不謹慎ではありますが、もし壊れたとしたら……万バズは確実ですよね。
大北:絶対そう。山手線ユーザーの心の柱ですよ(笑)。現代日本の象徴です。
北欧神話のキャラクターが山手線に現れる違和感
塚田:大北さん的にこの線路沿いのビルを背景に小人ってのは、エラー発見の報酬が大きめですか。
大北:大北理論の「ユーモアとはエラーを見つけた報酬である」に当てはまるかですね。「ビルを背景にして存在してるものといえば…?」なんて文脈に答えもないから、これはエラーって感じでもないんじゃないかなぁ。シュルレアリスムというか、解剖台の上のミシンとコウモリ傘的なものになっちゃいます(※)。
塚田:偶然出会っちゃった。
大北:「大崎になんで小人?」はちょっとエラー感弱め。「土俵になんで小人?」とかだと強まりますけど。
※⋯ものを本来のコンテクストから別の場所へ移し、異和感を生むシュルレアリスムの方法。「ミシンと蝙蝠傘との解剖台の上での偶然の出会い」はその違和感を説明する常套句。ロートレアモンの詩からとられている。

塚田:これドワーフらしいんですよ。
大北:ドワーフっていうのはゲームとかで出てきましたが、北欧神話のようですね。
塚田:森の中にいる人としてヨーロッパの人たちにとっては伝統的なモチーフです。
大北:なるほど。お化けとか子どもの世界の一つかなあ。
塚田:西洋のファンタジーがいきなり入ってきたっていう意味ではこの場におけるエラーですよね。
大北:ああ、そうですね。ここの建物自体オフィスビルなんですよね。オフィスビルにドワーフがいるわけないと。だんだんユーモアが感じられてきた。
塚田:ただ大崎はこの周辺にパブリックアートがいくつもあるんですよ。「アートヴィレッジ大崎」というプロジェクトで。
大北:へえ、ヴィレッジってことはここら辺一帯がそうなんですかね。
塚田:五反田からここに歩いてくる途中にも1、2個ありましたね。

インゲス・イデーはドイツの変容を背景にしている
塚田:このインゲス・イデーという人たち、実はユニットなんですね、1992年結成にドイツで結成されました。
大北:へえ、ユニットだったんだ。
塚田:1992年のドイツとなると…
大北:激動の頃ですね。
塚田:はい、ベルリンの壁崩壊の約3年後になりますね。当時のドイツって、東ドイツ側の施設が結構廃墟になってそこをアーティストがアトリエにしたり、ギャラリーにすることが多かったんです。もちろんそうでなくても廃墟を壊して再開発も起こりますよね。
大北:ありそうですよね、国が変わるときに。
塚田:東ドイツの町や公共空間がどんどん作り変えられていく中で、アーティストがそこに介入してくわけです。日本でもビルが壊される前に最後にアーティストが展示することがありますよね。最近だと『150年』という池袋の展示がわりと話題だったかな。
大北:古いビル丸ごとの展示ってたまにありますよね。なるほどなあ、社会に大きな変化があるときにアーティストは躍動するんですねえ。

公共空間に異物を持ち込むインゲス・イデーのユーモア
塚田:なのでインゲス・イデーが活動を始めた頃のドイツではそういった公共空間とアート作品との面白い実践が当時盛んだったところがあるんですね。作品と社会の色々な関わり方が試みられていた。インゲス・イデーも公共空間に違和感を持ち込むのが一つの作風になっている。
大北:なるほど、これも山手線から見えるという意味では公共空間とも言えそうだし。私達が電車の中から感じてたのはインゲス・イデーお得意の違和感なんですね。ドイツ以外もあるんですか?
塚田:韓国とか世界中にパブリックアート作っていて、今も活躍してる人たちです。
大北:他も同じように公共空間に異物を持ち込むんですかね。
塚田:そうです。例えばやたら足の長い人を作ったりとか。
大北:頭の長いドワーフに飽き足らず!
塚田:あとサラリーマンを縦に引き伸ばして7メートルにしてみたり。
大北:ははは、大体伸びちゃうんですね(笑)。
塚田:結構伸びちゃう。ユーモアに溢れた人たちです。
大北:へえ、この変わった小人は他の国でも変なことやってる人たちの作品だったんだ。

塚田:インゲス・イデーという名前は直訳するとインゲさんのアイディアという意味なんですが、面白いのは、メンバーにインゲさんはいないんですよね。
大北:「田中さんの考え」みたいな名前で、田中さんがいないんだ。田中は誰だよってなりますよね。
塚田:ツッコミどころがあるんですよね。
大北:なるほどなあ、ユーモラスな人たちなんですね。
ポップアートを踏まえたうえでの造形
大北:インゲス・イデーはどれくらいの集団なんですか?
塚田:4人のユニットなんですけど、それぞれの活動はこんなにポップじゃないんです。部屋の中に風船をたくさん膨らませたり、抽象的な彫刻だったり、シリアスな作風の人もいれば、テキスタイル的なデザイナーの人もいたり。
大北:へえー、全然頭伸ばしたりしてないんだ。
塚田:インゲス・イデーになるとこういうキャラクターっぽい彫刻が多いですね。
大北:ああ、羽を伸ばして作品も伸ばし始めるんですね(笑)。意識してなかったですが、キャラクターっぽいと言われたらたしかにこれキャラクターですね。目も輪郭がある。マンガ的だ。

塚田:輪郭がはっきりしてるものやキャラクターっぽい日常的なもの、例えばおもちゃの木馬なんかをインゲス・イデーは彫刻にしています。その辺りはポップアート以降の美意識が感じられます。でもポップアートの作家でいうと例えばローゼンクイスト(※ジェームス・ローゼンクイスト)は日常的なものを割とそのまま彫刻にする。
大北:そういうのがあった上での表現なんですね。
塚田:インゲス・イデーはそれとは違って拡大をしたり形を歪めたりするので、ポップアート的な即物性と抽象的な形としての面白さが同居してるような感じになってますね。これもおじさんのキャラクターを見ないで上部だけみると、抽象彫刻のように見えるじゃないですか。
大北:確かに顔を隠しちゃえば抽象彫刻みたいだ。
塚田:個人的には、形自体の「なんだこれ!?」が多くの人の目に留まる理由だと思います。ただの色がついたおじさんだったら「おじさんいるよね」ぐらいなものでしかないでしょう。
大北:そうか、電車で心を掴まれてたのは抽象彫刻的なものだったんだ。

造形的抽象性とキャラクター的具象性の共存
塚田:インゲス・イデーの作品は画像検索してみると「なんだこれは!?」となって面白いです。
大北:検索してみます。へえ、小人以外も全然いっぱいありますね。お化けとかかわいい作品が多い。
塚田:青森の十和田市現代美術館の作品ですかね。それもお化けって言っていいのか微妙で、単に目のような点がついてることでお化けっぽく見えている。これも抽象的な側面とキャラクター的な側面が同居してる。
大北:やはりそこが特徴なんだ。抽象性とキャラの具体性の合せ技というやり方自体はよくあるんですか?
塚田:どうでしょう。ただ、キャラってどんどん単純にしていくと抽象的にはなってきますからね。
大北:あー、なるほど。ドラえもんを簡単に描いていくのとかイメージありますね。
塚田:それでも具体性があるじゃないですか。猫型ロボットという。
大北:そうか、このドワーフにしてもただの人よりもキャラクターのほうが抽象化したときに具体性があるかもしれないですね。ぐにょーんとした抽象性が具体性であるキャラの上に乗っかっている。そして電車の中からも「なんだこれは」の認知が生まれるっていう。なるほど!

塚田:持ってるスコップもすごく単純化されてておもちゃのような感じ。あえてすごく単純化してるんだろうなという意図がスコップから見えます。
大北:なるほど、そういう単純化されたものだ、やはり。
大北:こうやってじっくり見ると、みんなの認知を獲得する理由がわかってきました。キャラクター性があって、単純化されてて、かわいらしくみんなが好きなもの。それがあった上で、意外性が1個ある。抽象彫刻がある。
塚田:意外とフックになってるのは、キャラ性じゃないんでしょうね。
大北:そう考えるとエラーでした。「商業ビルが童話のキャラクターを作りましたよ」っていう文脈があった上で、びよ~んと変に伸びてると考えると、ユーモラスな作品ですよね。
塚田:やはり、エラー理論でも説明つきますね。
大北:できますね。発見ですよ。なんだか愉快で楽しいなという。

美術評論の塚田(左)とユーモアの舞台を作る大北(右)でお送りしました
DOORS

大北栄人
ユーモアの舞台"明日のアー"主宰 / ライター
デイリーポータルZをはじめおもしろ系記事を書くライターとして活動し、2015年よりコントの舞台明日のアーを主宰する。団体名の「明日の」は現在はパブリックアートでもある『明日の神話』から。監督した映像作品でしたまちコメディ大賞2017グランプリを受賞。塚田とはパブリックアートをめぐる記事で知り合う。
DOORS

塚田優
評論家
評論家。1988年生まれ。アニメーション、イラストレーション、美術の領域を中心に執筆活動等を行う。共著に『グラフィックデザイン・ブックガイド 文字・イメージ・思考の探究のために』(グラフィック社、2022)など。 写真 / 若林亮二
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